お問い合わせを多数いただいた名建築がレストランに生まれ変わっていくプロセスをレポートします!
老舗が軒を連ねる尾張町商店街の裏通り。ここに金沢の近代建築に詳しい方なら、きっとご存知の「旧村松商店ビル」があります。
糸卸小売商である村松商店が昭和3年に建てた自社ビルで、民間の鉄筋コンクリート造では金沢屈指の歴史を誇ります。外観を見てもお分かりだと思いますが、この建物が貴重なのは、その築年数の古さだけではありません。太い蛇腹のような外壁、それを縁どる碧色のタイル、屋上に乗っかった塔屋。細部にわたるユニークな意匠とモダニズム建築の影響を強く受けた直線的なデザインは、金沢の建築を語るうえでも大変大切な存在で、金沢市指定保存建築物であり、登録有形文化財でもあります。
存在は以前から知っていたこの建物。ひょんなことから、持主である村松さんと出会うことができ、なんと「金沢R不動産」のホームページで貸物件として掲載させていただくことに。今から5ヶ月前の暑い暑い夏の日、初めてこの建物の中に足を踏み入れました。
パターン貼りされたタイル床の1階とシャビーな雰囲気が漂う2階。 その興奮たるや、今でも鮮明に覚えています。しばし空間全体が持つ存在感に圧倒され、そのあとじっくりと中を見ていくにつれ、その何ともいえない存在感は当時の設計者と施主の細部にわたる“こだわり”と代々大切に引き継いできた持主一家の“想い”からくるものだとわかりました。
さらに興味深かったのは、この建物に散りばめられたさまざまなストーリー。興奮する私たちに持主の村松さんは、以前は屋上の塔屋のさらに上に広告塔が建っていたこと、外壁面に取り付けられていた無数のイルミネーションは戦中時の灯火管制で消灯を余儀なくされたこと、さらにその塔や電飾などは金属供出で取り外されてしまったことなど、今以上に華やかだった竣工当時の様子と戦争の影響を受けて変わらざるをえなかった過去をたっぷりと聞かせてくれました。
北陸の名建築として紹介された以前の新聞記事(左)と昭和3年竣工当時に発行された記念絵はがき(右)。 今ここに建っているというだけで十分な説得力がある建物。これは絶対に話題になると確信しながら、その日のうちに物件紹介テキストを書き上げ、ホームページに掲載。奇抜で斬新だったであろう竣工当時のこの建物に想いを馳せて、タイトルは「ハイカラビルヂング」としました。すると、真っ先に問い合わせをくれたのが、今の借主である『EDiPS』さんだったのです。
これだけの物件ですから、他にもたくさんの問い合わせがありました。内見に順番待ちや時間規制ができたのは、あとにも先にもこの物件だけかもしれません。実際、同時期に複数の入居申込が入り、審査の結果ここをレストランとして利用したいという『EDiPS』さんと契約することになりました。
登録有形文化財であることを除いても、ずっと事務所としてしか使われてこなかった古い建物を飲食店にするには大変な手続きが必要です。ましてやこの建物にはさらに特別な事情がありましたから、契約から実際の工事に取りかかるまでにはしばらく時間がかかりました。
借主である『EDiPS』さんも、持主である村松さんも、そして仲介させていただいた私たちも、「この建物の魅力をよりたくさんの方に体感してもらいたい。そしてこれをきっかけに金沢がもっと面白い街になってほしい」という想いは同じ。それを実現させるために、それぞれがそれぞれに、また時には協力し合って、ハードルを一つ一つクリアしていきました。
ようやく本格的な工事に着手できるようになった頃、酷暑はとうに終わっていて冬の足音が聞こえていました。
2階床の一部をはがし、吹き抜けにする工事。 1階にはカウンター席を作ります。 2階建ての事務所ビルをタイ料理をメインとしたレストランへ。厨房取付などの設備工事のほかに、今回の工事の要となったのが、吹き抜けの復活です。竣工時は、入口から2階が見渡せるほどの大きな吹き抜けがあったそうですが、事務所兼倉庫として使っているうちに手狭になり、床面積を増やすために塞いでしまったとのこと。それを建ったときの状態に戻すことになりました。それ以外の内装も、経年変化の美しさを最大限に活かしながら、新しいデザインをスパイスのように付加。照明器具も金属供出前に付いていたものをイメージしてセレクトされました。
建物本来の斬新な建築デザインと経年変化の美しさ、それにさらなる魅力をプラスした内装。 『EDiPS』のフライヤーデザインは、昭和3年の竣工記念絵はがきへのオマージュを込めたもの。 そして迎えた12月23日(祝)、『EDiPS』オープン当日。私たち金沢R不動産では12:00~16:30までの間「ハイカラビルヂング新装お披露目内覧会」と銘打って、開店直前の店内を見学できるイベントを開催させていただきました。
『EDiPS』の全面協力もあって、内覧会は大盛況。いつも金沢R不動産のサイトを見てくださっているお客様のほか、以前の姿をよく知るご近所の方々やこのプロジェクトの関係者など本当に多くの皆様に来ていただき、さながら新しい門出を祝うパーティーのようでした。
来場者は途切れることがなく、4時間半で160人以上の方に来ていただきました。 今からちょうど12年前の1998年12月22日、この建物が北陸の名建築として朝日新聞に掲載された際の記事はこう締めくくられています。
『かつては繁華街だった橋場町・尾張町の看板役者は、ひっそりとその余生を楽しんでいるようだ』と。この記事を書いた記者はもちろんのこと、持主である村松さんさえ、この建物が再びスポットライトを浴びるときが来るとは思いもよらなかったことでしょう。
「金沢R不動産がなかったら、こうはなっていなかった」と言っていただいたとき、本当に涙が出るほど嬉しかったです。こうして新しい時代を迎えたハイカラビルヂング。この建物の歴史に関われたことはとても光栄なことです。こういった実例をもっともっと作っていければと思うと同時に、人と物件をつなぐだけでなく、人の想いと想いをつなぐこの仕事の魅力を改めて感じることができました。